「カラーテレビゲーム15」 任天堂初のテレビゲーム機・1977年発売

2022年5月15日

「カラーテレビゲーム15」

この言葉に聞き覚えのある方は、たぶん私と同年代です(笑)
そもそも「テレビゲーム」という言葉が、もう死語のような感じですね。PlayStation4とか、NINTENDO Wiiとかも分類すればテレビゲームなんだろうか。じゃあ3DSは? スマホゲームは?
しかも、これ、「カラー」ですからね~ それまでのゲーム機はきっとカラーじゃなかったんでしょうね。

ということで、今回はレトロゲーム機のお話。

  任天堂・カラーテレビゲーム15本体 Wikipediaより引用
  任天堂・カラーテレビゲーム15本体 Wikipediaより引用

これ、ネットを徘徊していて偶然発見した画像なのですが、とても懐かしくて感動しました。任天堂が発売した「カラーテレビゲーム15」 というゲーム機で、私も小学生の頃持っていたんです。当時は、「テレビに機械をつないでゲームをする」ということがものすごく画期的なことで、しかも15種類もゲームができるということで(今思うとゲーム性はそれほど無いゲームばかりでしたが)、かなり話題になっていました。



Wikipediaで調べてみたら、100万台も売れたそうなので、おそらく商業的には成功だったんだと思います。しかも、後述しますが、このゲーム機の発売で得た販売戦略が、後のファミコンのヒットに繋がったようです。
 

さて、その「カラーテレビゲーム15」のゲームがどんなんだったかというと、左右に配置された2つのパドル(というかただの太線)をそれぞれ上下に操作して、球を跳ね返すというのが基本です。電子版のエアホッケーみたいな感じですね。15種類のゲームができると言っても、枠が違ったり、中央に障害物があったり無かったりする程度の違いがあるだけで、ほとんどが同じようなゲームです。

で、調べてみて感動したのが、これのプレイ映像をYoutubeにアップしてくださった方がいるんです!

そうそう、これこれ!! いやあ、懐かしいです! Nadja Arileさんありがとうございます!

この映像のは後に出た改良版のカラーテレビゲーム15ですね。コントローラーが可変抵抗器になっており、回した分だけパドルが動くタイプです。私が持っていたヤツは初期の製品で、コントローラーの見た目は同じなのですが、ただスイッチが入っているだけなので、パドルは常に同じ速度でしか動きません。だから例え反射神経がものすごくよい人がやっても、物理的に届かないときがあります。もう少し待って買えば良かったと後で後悔したものです(笑)
 

当時、小学生の私が知りようもないことでしたが、それまでの任天堂と言えば「花札の会社?」ぐらいのイメージだったらしく、三菱電機から共同開発を持ちかけられなければ、テレビゲームを作ろうなんて話が出るような会社じゃなかったようです。だから、このゲーム機のヒットがなければ、もしかしたらあのファミコンは存在しなかったかもしれません。

当時すでにエポック社が「テレビテニス」というのを出していましたので、後発の任天堂としては価格で勝負するしか無かったとのこと。で、戦略的に、

・ぎりぎり採算ベースに乗る15,000円で「カラーテレビゲーム15」を
・インパクト狙いの9,800円で廉価版「カラーテレビゲーム6」を

販売することにしたらしいです。



実は「6」も「15」も中身は同じだったらしく(!!)、表面上、6種類しか遊べなくしたのが「6」だったんですね。なので、それを9,800円で売ると完全赤字。これしか売れなかったら結構マズかったと思うのですが、これは狙いがハマって、

「おお、テレビゲームが1万円以下?!」
「でも、15の方がお得感があるね!」

ということで、しっかりと採算がとれたようです。しかも、9,800円という価格設定に、ライバルの他社はテレビゲーム参入に二の足を踏んだというオマケ付き。

そして、この経験から、ファミコン以降の任天堂が、

・ハードを安くしてとりあえず売ってしまう
・儲けはソフトウエアで出す

という方向性になったようです。

なんと、私が小学生のころに遊んでいたレトロゲーム機が、その後のゲーム業界の40年を左右するようなシロモノだったとは知りませんでした(笑)

ゲームやおもちゃの話は積もるほどありますので、カテゴリ「ホビー」を新設しました。今後もときどき書こうと思います。

 
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